- 日本経済の長期停滞を脱するための自己変革――
- 1. 高度経済成長からバブル経済へ――日本の繁栄を支えた仕組み
- 2. 平成不況から第二次不況へ――長期停滞を深刻化させた要因
- 3. 2000年代前半の景気回復――企業利益と国民生活のずれ
- 4. 生産と需要から見た日本経済――回復の数字が映し出すもの
- 5. 雇用の縮小と不安定化――サービス産業の成長に隠された問題
- 6. 家計消費の停滞――生活の豊かさはどこへ向かったのか
- 7. 東アジアへの生産移転――国際分業の進展と国内産業の変化
- 8. 内需主導型経済への転換――公共サービスが果たす役割
- 9. 地域間格差の拡大――輸出主導の回復は全国に広がったのか
- 10. 日本経済の展望――競争力だけでなく、生活を支える力を育てる
- 11. 歴史の証言として読む――2007年の問題提起が問いかけるもの
日本経済の長期停滞を脱するための自己変革――
日本経済の長期停滞を考えるとき、企業の競争力や輸出の伸びだけを見ていても、全体像はつかめません。企業が利益を回復させても、働く人の賃金が上がらず、家計が消費を控え、地域の商店や中小企業が苦境に陥るなら、経済全体が力強さを取り戻したとはいえないからです。
2007年に刊行された飯盛信男の『構造改革とサービス産業』が取り上げたのは、まさにこの問題でした。1980年代後半のバブル経済、その崩壊、1990年代の長期不況、そして2000年代前半の景気回復。その一連の変化をたどりながら、企業の国際競争力を高めるための構造改革が、雇用、所得、消費、地域経済にどのような影響を与えたのかを検討しています。
そこで示される中心的な問題提起は明快です。輸出や企業利益の回復だけに依存するのではなく、国民生活を支える需要を国内で育て、安定した雇用を生み出す経済へ転換する必要があるという考え方です。そのための重要な手段として、医療、福祉、教育、環境保全などの公共サービスを充実させることが重視されています。
以下では、1980年代から2000年代半ばまでの歴史的な経緯を整理しながら、当時の日本経済が抱えていた矛盾と、そこから浮かび上がる課題を解説します。なお、経済指標や政策評価は、2007年時点の問題意識を理解するための歴史的な記録として扱います。現在の日本経済についての評価とは区別して読み進めることが大切です。
1. 高度経済成長からバブル経済へ――日本の繁栄を支えた仕組み
高度経済成長は、設備投資と家計消費の好循環によって実現した
戦後の日本経済は、1950年代半ばから1970年代初めにかけて、世界でも際立った成長を遂げました。高度経済成長を支えたのは、工場や機械への大規模な投資、重化学工業の発展、そして国民の所得上昇に伴う消費の拡大でした。
鉄鋼、石油化学、自動車、電機などの産業が成長すると、企業は設備を増強し、労働者を雇用します。雇用が拡大して賃金が上がれば、人々は住宅を建て、家電製品を購入し、食生活や余暇を充実させることができます。消費が増えれば企業の売上も伸び、さらに設備投資が行われるという循環が生まれました。
この時代の成長を理解するうえで重要なのは、輸出だけでなく、国内の設備投資と家計消費も大きな役割を果たしていたことです。日本の経済成長は、企業が海外市場で競争力を発揮する一方、国内でも生産と消費が拡大することによって支えられていました。
ところが、1973~1974年の石油危機によって、高度経済成長は終わりを迎えます。原油価格の急騰は、日本のようにエネルギー資源の多くを輸入に依存する国に大きな打撃を与えました。
その後、日本経済は輸出の拡大や公共投資によって成長を維持しましたが、財政赤字への懸念が強まるにつれて、公共投資を抑制し、行政の効率化や歳出削減を進める政策が重視されるようになりました。1980年代前半には、輸出への依存がいっそう強まっていきます。
バブル経済は、実体経済の成長と資産価格の膨張が重なって生まれた
1985年のプラザ合意後、日本では急速な円高が進みました。円高は輸出企業にとって海外での価格競争を難しくするため、景気への悪影響が懸念されました。
その後、金融緩和などを背景に、1980年代後半には株式や土地への投資が活発化します。資産価格の上昇が新たな投資を呼び、投資による需要がさらに景気を押し上げるという循環が生まれました。
株式時価総額は、1986年末の約375兆円から1989年末には約890兆円へと膨張しました。地価総額も1986年末の約1,304兆円から1990年末には約2,443兆円に達しています。
しかし、株式や土地の価格が上がり続けるという期待は、いつまでも維持できるものではありません。1990年代初めにバブルが崩壊すると、資産価格は急落し、企業や金融機関は大きな損失を抱えました。
株価の下落は、企業の資金調達や投資意欲を弱めます。土地などを担保に資金を借りていた企業は、資産価値の低下によって借金の負担が相対的に重くなりました。金融機関でも、不良債権が膨らみ、融資に慎重になる動きが強まります。
こうして、資産価格の下落が企業活動を縮小させ、企業活動の縮小が雇用や所得を悪化させるという連鎖が始まりました。
日本経済が直面した問題は、単に株価や地価が下がったことではありません。バブル期に膨張した資産と債務を整理する過程で、企業、金融機関、家計の行動そのものが慎重になり、経済全体の需要が弱まったことにありました。
2. 平成不況から第二次不況へ――長期停滞を深刻化させた要因
バブル崩壊後の不況は、企業の投資意欲を長く弱めた
1990年代初めの日本経済は、バブル崩壊による資産価値の低下と設備過剰に苦しみました。企業は新たな工場や機械を導入するよりも、既存設備の整理や借金の返済を優先するようになります。
加えて、円高によって日本国内で生産するコストが海外に比べて高くなると、企業は生産拠点の海外移転を進めました。海外で製品を生産し、現地市場や第三国市場に供給することは、企業にとって合理的な経営判断でした。しかし、その一方で、国内の工場や下請企業にとっては受注の減少を意味しました。
1994~1996年には、一時的に景気が回復します。ただし、その恩恵は産業や企業規模によって異なっていました。海外生産を進め、国際競争力を維持できた大企業と、国内市場への依存度が高い中小企業との間で、経営状況に差が広がっていきます。
景気が回復しているように見えても、経済全体が安定した成長軌道に戻ったわけではなかったのです。
1997年以降、家計への負担増と金融危機が不況を深めた
1997年度には、消費税率の引き上げや医療費負担の増加などが家計に影響を与えました。消費者の支出が抑えられると、小売業や飲食業をはじめとする内需関連産業の売上が弱まり、企業の投資や雇用にも影響が及びます。
さらに、不良債権問題が深刻化し、金融機関の経営不安が広がりました。1997~1998年には金融危機が発生し、日本経済は戦後でも特に厳しい不況を経験します。
ここで重要なのは、不況の原因が一つではなかったことです。バブル崩壊による需要の縮小、過剰設備、円高と海外移転、金融機関の不良債権、そして家計への負担増が重なり、景気を押し下げました。
飯盛信男は、1991~1993年ごろの不況と1997年以降の不況を区別して捉えています。前者を「平成第一次不況」、後者を「平成第二次不況」と位置づけ、後者では政策判断や金融危機が不況をいっそう深刻化させた点を重視しています。
この区別は、景気後退を単なる経済の自然な循環として片づけず、政策が家計や企業の行動にどのような影響を与えたのかを考えるうえで重要です。
デフレは、価格が下がっても暮らしが楽になるとは限らないことを示した
1990年代後半から2000年代にかけて、日本経済ではデフレが深刻な問題になりました。
デフレとは、物価が継続的に下落する状態です。消費者にとって、商品が安く買えること自体は悪いことではありません。しかし、物価の下落が需要の弱さや賃金の低下を伴っている場合、話は変わります。
例えば、企業が売上を確保するために商品の価格を引き下げても、賃金や雇用が減少すれば、消費者は以前ほど商品を買えません。企業はさらに値下げや人件費削減を進め、家計の購買力がいっそう弱まる可能性があります。
また、物価や賃金が下がっても、借金の元本が同じ額だけ減るわけではありません。企業や家計の債務負担が実質的に重くなれば、投資や消費を控える動きが強まります。
このように、価格低下が消費の拡大につながらず、むしろ所得や需要を縮小させることがあります。安売りによって目の前の消費者を獲得することと、経済全体の購買力を回復させることは、同じではないのです。
3. 2000年代前半の景気回復――企業利益と国民生活のずれ
輸出の拡大が日本経済を再び押し上げた
1999~2000年には、アジア経済の回復などを背景に、日本経済も一時的に持ち直しました。しかし、2001年には米国の景気減速などを受けて輸出が減り、日本経済は再び停滞します。
この時期に進められたのが、小泉内閣の構造改革です。不良債権処理や企業の過剰債務・過剰設備・過剰雇用の解消が重視され、金融機関や企業の再編が進みました。
企業にとって、過剰な設備や債務を整理し、収益性の低い事業を縮小することは、経営を立て直すための手段です。人件費の削減や雇用の調整も、短期的には利益を改善する効果を持ちます。
その後、日本経済の回復を支えた大きな要因が、中国をはじめとする東アジア向けの輸出でした。2001年度から2005年度にかけて、アジア向け輸出額は約19.7兆円から約32.9兆円へ増加しています。
海外需要が拡大すると、日本企業は機械、部品、素材などを供給し、設備投資を再開できるようになります。輸出企業の業績が改善すれば、関連企業の生産活動にも波及します。
ただし、輸出が増えたからといって、その恩恵が全国の企業や家計に均等に届くとは限りません。輸出競争力の高い大企業と、地域の消費や公共投資に依存する中小企業とでは、景気回復の実感に差が生まれます。
企業の利益が増えても、家計の所得が増えるとは限らない
当時の日本経済を理解するうえで、特に重要なのが企業収益と家計所得のずれです。
企業が利益を回復させる方法には、売上を増やすことだけでなく、費用を減らすこともあります。人件費を抑制し、非正規雇用を活用し、設備や債務を整理すれば、売上の伸びが大きくなくても利益を改善できる場合があります。
その結果、企業の財務状況が改善しても、従業員の賃金や雇用の安定性が十分に改善しないという状況が生まれます。
飯盛が示す統計では、従業員30人以上の事業所における全産業の月間給与額は、1992年の約39.3万円から2005年には約37.7万円へ減少しました。また、勤労者世帯の家計消費支出も、1992年から2005年にかけて名目額で減少し、物価変動を考慮すると落ち込みはさらに大きくなります。
こうした数字は、企業部門の回復と、家計が実感する豊かさとの間に隔たりがあったことを示しています。
経済の健康状態を企業利益だけで判断すると、働く人の所得や消費の停滞を見落としてしまいます。企業が利益を上げ、その利益が賃金、雇用、国内投資などを通じて社会に循環することが、持続的な成長には欠かせません。
構造改革が重視した効率化と、社会全体の安定は両立できるのか
構造改革には、非効率な事業を整理し、企業の競争力を高めるという目的があります。国際競争が激しくなるなかで、生産性を改善しなければならないという問題意識そのものには合理性があります。
しかし、企業単位での効率化が、社会全体の利益につながるとは限りません。
例えば、企業が国内工場を閉鎖して海外へ生産を移せば、企業自身はコストを削減できるかもしれません。一方、国内の従業員が職を失い、下請企業の受注が減り、地域の商店の売上が落ち込む可能性があります。
企業が個別に合理的な判断を重ねた結果、国内の雇用と消費が縮小し、他の企業にとっても市場が小さくなることがあるのです。
ここには、企業の競争力と、経済全体の安定性との間に生じる緊張関係があります。
構造改革を評価するには、企業がどれだけ利益を上げたかだけでなく、雇用の質、賃金、所得分配、国内需要、地域社会への影響も合わせて検討する必要があります。
4. 生産と需要から見た日本経済――回復の数字が映し出すもの
鉱工業生産が示した15年間の停滞
製造業の動向を把握するため、飯盛は鉱工業生産指数を用いています。これは、鉱業や製造業などの生産活動がどのように変化したかを示す指標です。
2000年を100とした指数では、バブル経済末期の1991年に101.6を記録しました。その後、生産はバブル崩壊や金融危機などによって落ち込み、2001年以降にも再び低下します。2003年から回復が進み、2006年には105.8となりました。
この推移からわかるのは、景気回復が一直線に進んだわけではないということです。生産は回復と後退を繰り返し、バブル期の水準を安定的に上回るまでに長い時間を要しました。
しかも、企業規模によって状況は異なりました。大企業の生産活動が早く回復する一方、中小企業では回復が遅れた分野もありました。
産業別に見ると、電機産業は海外移転や輸入品の増加などの影響を受ける一方、輸送機械は2000年代前半に比較的堅調な生産を示しました。鉄鋼や化学なども、輸出や設備投資の動向に応じて回復しました。
このように、製造業という一つの分類の中にも、国際競争力、海外生産、国内需要、設備投資などの違いによって、異なる動きが存在していました。
GDPの成長率だけでは、景気回復の実態をつかめない
経済成長を測る代表的な指標が、国内総生産(GDP)です。GDPは一定期間に国内で生み出された付加価値の総額を表します。
しかし、GDPが増加したとしても、その増加を何が支えているのかによって、経済の姿は大きく異なります。
国内の家計消費が増えたのか、企業の設備投資が増えたのか、公共投資が増えたのか、それとも海外向けの輸出が増えたのか。これらを区別することが重要です。
飯盛の分析では、1985~1991年度のバブル経済期に民間企業設備投資が大きく伸びたのに対し、1998~2005年度には輸出の伸びが特に顕著でした。同時に、公共投資は大きく減少しています。
つまり、景気回復を支える力の構成が変化したのです。国内の投資や消費が経済を押し上げる局面から、海外市場の拡大が成長を牽引する局面へと重心が移りました。
輸出主導型の成長には、国内需要が弱いときでも海外市場の拡大を利用して生産を増やせるという利点があります。しかし、海外経済の減速や貿易環境の変化が起きれば、国内経済も影響を受けやすくなります。
さらに、輸出で利益を得る企業が増えても、国内の消費者の所得が伸びなければ、国内市場は十分に拡大しません。
ここから導かれるのは、輸出か内需かという単純な二者択一ではありません。輸出の強みを維持しながら、国内でも安定した所得と需要を育てることが重要だという問題意識です。
5. 雇用の縮小と不安定化――サービス産業の成長に隠された問題
製造業の雇用減少とサービス業の雇用増加
1990年代以降、日本の産業構造には大きな変化が生じました。
製造業では、生産拠点の海外移転や生産性向上などによって、国内の就業者数が減少しました。一方、サービス業では就業者数が増加し、雇用の受け皿としての役割が大きくなっていきます。
飯盛が示す統計では、製造業の就業者数は1992年の約1,569万人から2005年には約1,161万人へ減少しました。これに対して、サービス業の就業者数は同じ期間に約1,481万人から約1,946万人へ増加しています。
この変化は、日本経済が工業中心の産業構造から、サービス産業の比重が高い構造へ移行していったことを示しています。
しかし、サービス産業が拡大することと、安定した雇用が増えることは同じではありません。
サービス産業には、医療、福祉、教育、情報通信、専門的な企業向けサービスなど、幅広い業種が含まれます。高い専門性や継続的な技能形成を必要とする仕事もあれば、短期間の訓練で従事できる仕事もあります。
そのため、サービス産業全体の就業者数が増えたという数字だけでは、労働者の生活が改善したかどうかは判断できません。
非正規雇用の拡大は、働く人の将来設計にも影響した
企業が人件費を抑制する過程では、派遣労働や請負、パートタイムなどの雇用形態が活用されました。
企業にとって、こうした雇用形態は需要の変動に対応しやすいという利点があります。受注が増えたときに人員を確保し、受注が減ったときには労働投入を調整しやすくなるためです。
一方、労働者にとっては、契約の継続や収入の見通しが不安定になる可能性があります。賃金が低く、教育訓練の機会も乏しい場合には、仕事を通じて技能を身につけ、長期的にキャリアを築くことが難しくなります。
若年層が安定した収入を得られなければ、住宅の購入や結婚、子育てなど、長期的な生活設計にも影響が及びます。
この問題は、個人の努力だけでは解決しにくい面があります。安定した雇用の機会が限られ、教育訓練の機会にも格差があれば、本人が意欲を持っていても将来の選択肢が狭まってしまうからです。
所得格差は、消費の停滞を通じて経済全体にも影響する
所得格差の拡大は、社会的な公平性だけでなく、経済の成長力にも関わります。
一般に、所得が限られている世帯は、収入の多くを食料、住居、光熱費、医療などの日常生活に必要な支出へ振り向けます。所得が減少すれば、こうした支出を削るか、貯蓄を取り崩すか、借入れを増やす必要が生じます。
反対に、所得が大きく増えても、その増加分のすべてが消費に回るわけではありません。高所得世帯では、所得の増加分の一部が貯蓄や資産運用に向かうことがあります。
そのため、所得が広い層に行き渡らず、一部の企業や高所得層に集中すると、経済全体の消費需要が十分に増えない可能性があります。
所得格差の拡大は、社会の分断を深めるだけでなく、国内市場の成長を弱める要因にもなり得るのです。
6. 家計消費の停滞――生活の豊かさはどこへ向かったのか
収入が減れば、消費者は何から支出を削るのか
家計消費は、企業が生産した商品やサービスを購入する需要であり、日本経済を支える重要な要素です。
飯盛が示す勤労者世帯の統計では、年間実収入は1992年の約677万円から2005年には約627万円へ減少しました。可処分所得も約569万円から約528万円へ減っています。年間消費支出も、同期間に約413万円から約394万円へ減少しました。
収入が減少すると、家計はすべての支出を同じ割合で削るわけではありません。食料、衣服、家具、旅行、娯楽など、費目ごとに支出を調整します。
当時は、被服費や家具・家事用品への支出が大きく減少していました。食費も減少し、旅行などのサービスへの支出も縮小しました。
こうした支出の減少は、個々の家庭が節約を迫られていたことを示すだけでなく、消費財を製造する企業や地域の商店、伝統的な地場産業にも影響します。
衣服や家具、陶磁器、食品などの需要が減れば、それらを生産する地域の企業の売上が落ち込みます。売上が減少すれば、雇用や賃金を抑える必要が生じ、地域住民の消費がさらに弱まる可能性があります。
このように、家計の節約は一世帯だけの問題にとどまりません。多くの世帯が同時に消費を削れば、企業の売上を通じて経済全体に影響が広がります。
医療費の負担増は、必要なサービスの利用にも影響する
家計消費を考えるうえでは、医療などの必需的なサービスにも目を向ける必要があります。
医療サービスへの支出が増えたとしても、それが医療の利用量の増加を意味するとは限りません。医療費の自己負担が増えれば、同じ治療を受けるために必要な支出額が増える場合があるからです。
飯盛は、1990年代から2000年代にかけての医療費負担の変化に注目し、医療サービスの価格上昇を考慮すると、家計による医療サービスの実質的な購入が減少していたことを指摘しています。
この問題は、一般的な商品とは異なる医療サービスの性質を示しています。
衣服や家電製品であれば、購入を延期したり、より安価な商品に切り替えたりすることができます。しかし、医療や介護では、利用を控えることが本人の健康や生活の質に深刻な影響を与える場合があります。
したがって、家計の支出を抑えることが、必ずしも社会全体の効率化につながるわけではありません。必要な医療や福祉を利用できる環境を整えることは、生活を守るだけでなく、将来の重症化や生活困難を防ぐという意味も持ちます。
7. 東アジアへの生産移転――国際分業の進展と国内産業の変化
日本企業は、海外生産を通じて国際競争力を維持しようとした
1990年代以降、日本企業は生産拠点を東アジアへ移転する動きを加速させました。
円高によって国内生産のコストが相対的に高まったことに加え、中国や東南アジア諸国の工業化が進み、海外で生産する条件が整ってきたことが背景にあります。
企業は、部品の生産、組み立て、完成品の販売などの工程を複数の国に分け、それぞれの地域の強みを活用するようになりました。日本国内では高付加価値の部品や製造装置を生産し、海外工場では組み立てを行うといった分業も進みました。
この変化は、日本の輸出入の構造を大きく変えました。
かつての日本は、原材料を輸入し、国内で加工した完成品を欧米などへ輸出する貿易構造を特徴としていました。しかし、海外生産が拡大すると、日本から東アジアへ機械や部品を輸出する一方、海外工場で製造された完成品を日本へ輸入する取引が増加しました。
つまり、日本企業が海外に生産拠点を持つようになることで、輸出と輸入の両方が企業の国際分業の中に組み込まれていったのです。
海外生産の拡大は、中小企業や地場産業に何をもたらしたのか
海外生産には、コストを抑え、海外市場に近い場所で製品を供給できるという利点があります。一方、国内の生産現場には、雇用や取引関係の縮小という影響が生じることがあります。
大企業の工場が海外へ移転すると、国内の下請企業が受注を失う場合があります。部品の調達先が海外へ切り替われば、長年にわたって形成されてきた国内の企業間ネットワークも変化します。
また、衣料品や家具などの安価な輸入品が増えると、国内の地場産業は価格競争にさらされます。地域に根ざした技術や技能を持っていても、価格だけで比較されれば、経営を維持することが難しくなる場合があります。
こうした変化は、産業構造の転換が単なる工場の移動ではないことを示しています。生産拠点の移転は、雇用、技能形成、取引関係、地域の文化や産業基盤にまで影響を及ぼします。
もっとも、海外生産の拡大が必ず国内産業の衰退につながるわけではありません。海外での生産が日本国内の部品需要や研究開発を支える場合もあります。重要なのは、海外生産の利益を国内の投資、雇用、技能形成へどのようにつなげるかという点です。
東アジアの成長を、日本の国内市場の拡大にもつなげる
東アジア諸国の工業化は、日本企業にとって競争相手の増加を意味する一方、新しい市場の拡大も意味していました。
日本企業が機械や部品を輸出し、現地企業が生産能力を高めれば、地域全体の産業基盤が発展します。各国の技術水準が向上し、部品や素材の現地調達が進めば、国際分業の形も変化していきます。
ただし、東アジア全体の輸出が増えたとしても、地域内の消費市場が同じ速度で拡大するとは限りません。域内で生産された製品の多くが米国や欧州などの市場へ輸出される構造が続けば、東アジア経済は域外の需要に左右されやすくなります。
そこで必要になるのが、東アジア各国の国内需要を育てることです。労働条件を改善し、所得を増やし、医療や教育などの社会サービスを充実させれば、人々が安心して消費できる環境が整います。
日本についても同じことがいえます。海外市場への輸出を増やすだけでなく、国内の家計消費を安定させることが、東アジア全体の持続的な発展にもつながるという考え方です。
8. 内需主導型経済への転換――公共サービスが果たす役割
内需主導型経済とは、国内で生み出した所得を国内の需要につなげる仕組みである
内需主導型経済とは、家計消費、企業の国内投資、公共サービスなど、国内の需要を成長の重要な基盤とする経済構造を指します。
これは輸出を否定する考え方ではありません。輸出が増えれば国内の生産や所得を押し上げることができます。しかし、海外需要だけに成長を依存すると、世界経済の変化が国内の景気を大きく左右することになります。
国内の需要を安定させるためには、家計が継続的に所得を得られること、企業が国内市場に投資する見通しを持てること、地域社会に必要なサービスが提供されることが重要です。
飯盛が特に重視したのは、公共サービスの拡充でした。医療、福祉、教育、文化、環境保全などの分野では、社会にとって必要なサービスであっても、民間企業の採算だけに任せると十分に供給されない場合があります。
例えば、人口が少ない地域では、採算が取りにくいという理由で医療機関や交通サービスの維持が難しくなることがあります。子育て支援や高齢者ケアでも、利用者が支払える料金だけでサービスを提供しようとすれば、必要な支援が不足する可能性があります。
こうした分野で公共的な支援を行い、必要なサービスを安定して提供することは、生活の基盤を整えると同時に、雇用を生み出すことにもつながります。
公共サービスは、社会保障であると同時に雇用と需要を生み出す基盤でもある
公共サービスの経済的な役割は、サービスを利用する人を支えることだけではありません。
医療や介護の施設を整備するには、建物、設備、医療機器、福祉用具などが必要です。施設の運営には、専門職だけでなく、事務、給食、清掃、設備管理などの仕事も生まれます。
教育や子育て支援、環境保全などでも、サービスの提供を通じて雇用が生まれ、関連する産業への需要が発生します。
さらに、安定した仕事と所得があれば、労働者は生活の見通しを立てやすくなります。将来の医療費や介護費、子育て費用への不安が軽減されれば、必要以上に消費を控えずに済む可能性もあります。
ここには、公共サービスから国内需要へとつながる循環があります。
公共サービスが国内経済を支える循環
医療・福祉・教育・環境などの公共サービスを充実させる
必要なサービスの供給と安定した雇用を増やす
所得と生活の安心を支え、家計の将来不安を軽減する
消費・設備投資・地域の取引を通じて国内需要を育てる
これは公共サービスの経済的な波及効果を整理した概念図であり、すべての支出が自動的に成長につながることを意味するものではありません。
この考え方では、公共サービスへの支出は、単に消費されて終わる費用ではありません。人々の生活を支え、働く機会を生み、関連産業の需要を形成する社会的な投資として位置づけられます。
ただし、公共サービスを増やせば必ず経済成長が実現するわけではありません。財源をどのように確保するのか、サービスの質をどう維持するのか、職員の賃金や労働条件をどう改善するのか、地域の需要に合った提供体制をどうつくるのかといった課題があります。
公共サービスの拡充を経済政策として考える場合には、財政の持続可能性とサービスの社会的効果を合わせて検討する必要があります。
9. 地域間格差の拡大――輸出主導の回復は全国に広がったのか
成長産業が集中する地域と、取り残される地域
輸出主導型の景気回復は、地域によって異なる影響をもたらしました。
輸出産業や大企業の工場、企業向けサービスが集中する地域では、景気回復の恩恵を受けやすくなります。一方、公共投資や地域住民の消費に依存する地域では、公共投資の削減や家計消費の停滞が経済活動を弱める要因になります。
地域経済の問題は、企業が存在するかどうかだけでは決まりません。企業がどのような産業に属しているか、地域の雇用がどのような所得水準や雇用形態に支えられているか、公共サービスがどの程度整備されているかによっても、景気への耐性は変わります。
輸出企業が好調でも、その利益が地域内の賃金や取引に十分に回らなければ、地元の商店やサービス業の売上は伸びにくいままです。
また、人口が減少している地域では、民間企業が市場の縮小を理由に店舗や事業所を撤退させることがあります。サービスが減れば、住民の生活の利便性が低下し、さらに人口が流出するという悪循環も起こり得ます。
地域の均衡ある発展には、公共サービスと地域内の需要が重要になる
公共サービスの拡充は、こうした地域間格差を緩和する手段の一つです。
医療、介護、子育て、教育、交通などのサービスを地域で安定して提供すれば、住民の生活を支えるとともに、地域に継続的な雇用を生み出すことができます。
地域で雇用された人が地域で生活し、そこで所得を使えば、商店や飲食店、住宅関連産業などにも需要が波及します。地域のサービス産業は、単独で成長するのではなく、住民の生活と地域内の産業活動をつなぐ役割を果たすのです。
もっとも、公共サービスだけですべての地域問題を解決できるわけではありません。地域の製造業や農業、観光、企業向けサービスなどと結びつけ、地域の資源や技術を活用した産業基盤を形成することも必要です。
重要なのは、東京や大都市圏に集まる成長産業の利益が、地方の雇用や所得にも波及する仕組みをつくることです。そのためには、地域の生活基盤を支える公共サービスと、地域の産業を育てる政策を組み合わせる必要があります。
10. 日本経済の展望――競争力だけでなく、生活を支える力を育てる
効率化を進めるだけでは、持続的な成長は実現しない
1980年代後半から2000年代半ばまでの日本経済を振り返ると、企業の競争力を高めることと、国民生活を安定させることの関係が大きく変化したことがわかります。
高度経済成長期には、設備投資と輸出の拡大が雇用や所得の増加につながり、家計消費を押し上げる循環が比較的強く働いていました。しかし、バブル崩壊後は、企業が債務や設備を整理し、海外生産を拡大し、人件費を抑制するなかで、企業利益の回復と家計の豊かさが必ずしも一致しなくなりました。
2000年代前半には、東アジア向けの輸出拡大によって景気が回復しましたが、雇用や賃金の改善、家計消費の回復には遅れがみられました。
この経験から浮かび上がるのは、企業単位の効率化だけでは、経済全体の需要を十分に育てられないという問題です。
企業が競争力を維持することは重要です。しかし、そこで生み出された利益が賃金や国内投資に結びつかず、家計が消費を控え続けるなら、国内市場の成長は弱いままです。
その意味で、経済政策には、生産性や国際競争力を高める視点だけでなく、安定した雇用、所得分配、公共サービス、地域経済を一体として捉える視点が求められます。
サービス産業の成長を、低賃金雇用の拡大で終わらせない
サービス産業は、製造業に代わって雇用を吸収する重要な分野となりました。しかし、サービス産業の成長が低賃金や不安定な雇用の増加によって支えられるなら、経済全体の安定性を高めることは難しくなります。
サービスの価値は、単に提供件数や売上高だけでは測れません。医療であれば健康の維持や回復、介護であれば本人の尊厳や生活の継続、教育であれば能力形成、環境保全であれば生活環境の維持といった、社会的な成果が重要になります。
これらの仕事は、人の知識、判断、経験、対人関係の能力に支えられています。必要な人員を確保し、教育訓練の機会を整え、適切な賃金を保障することが、サービスの質を維持するためにも重要です。
特に医療・福祉分野では、サービスの需要が存在していても、利用者が支払える料金だけでは十分な雇用や賃金を確保できない場合があります。社会に必要なサービスを市場の採算性だけに委ねず、公共的な支援によって供給基盤を整えるという発想が重要になります。
サービス産業を日本経済の成長分野として育てるには、雇用の数を増やすだけでなく、仕事の質、サービスの質、労働者の生活の安定を同時に高めていく必要があります。
生活の安心を経済の基盤として捉え直す
将来の生活に不安がある人は、収入があっても支出を控え、貯蓄を優先することがあります。医療費、介護費、教育費、失業への備えなど、将来必要になる支出が予測できなければ、現在の消費にも慎重にならざるを得ません。
反対に、必要なときに医療や介護を受けられ、子育てや教育の支援があり、失業しても生活を立て直すための仕組みが整っていれば、生活の見通しを立てやすくなります。
社会保障や公共サービスには、困った人を助けるという役割だけでなく、社会全体の不安を軽減し、経済活動を支える役割もあります。
ここでいう安心は、単なる心理的な問題ではありません。人々が将来の見通しを持ち、働き、学び、子どもを育て、必要な消費を行えるという、経済活動の基盤に関わる問題です。
経済の成長力を高めるためには、企業が投資しやすい環境を整えるだけでなく、人々が安心して生活し、働き続けられる環境を整える必要があります。
11. 歴史の証言として読む――2007年の問題提起が問いかけるもの
2007年という時点から振り返ると、日本経済はバブル崩壊後の長期停滞を経て、輸出の拡大による回復局面にありました。しかし、企業の収益が改善しても、雇用の不安定化や賃金の停滞、家計消費の弱さ、地域間格差といった問題は残されていました。
飯盛信男の議論は、こうした状況を単なる景気循環の問題として捉えるのではなく、日本経済の成長の仕組みそのものが変化した結果として理解しようとするものです。
製造業の海外移転は企業の国際競争力を支える一方、国内の雇用や中小企業の取引基盤を弱めることがありました。構造改革は企業の効率化を促す一方、その負担が雇用や家計に集中する可能性を持っていました。輸出の拡大は景気を押し上げましたが、国内需要が十分に成長しなければ、回復の恩恵は広く行き渡りません。
そこで提示されたのが、公共サービスを充実させ、安定した雇用を生み出し、家計消費を支えることで内需主導型の経済構造を育てるという方向性でした。
この主張は、公共サービスへの支出を増やせばすべての問題が解決するという単純なものではありません。財源の確保やサービスの効率性、質の向上、民間企業との役割分担など、具体的な制度設計が必要です。しかし、経済を企業の利益だけで評価せず、雇用や生活、地域社会とのつながりの中で評価しようとする視点には、重要な意味があります。
日本経済の課題は、どれだけ多くの商品を生産し、どれだけ多く輸出できるかという問題だけではありません。生産によって生み出された豊かさを、どのように雇用、所得、生活の安心へと結びつけるかという問題でもあります。
バブル崩壊後の経験が示したのは、企業が生き残るための効率化と、社会全体が持続的に発展するための条件は、必ずしも一致しないということでした。企業の競争力を維持しながら、働く人の生活を安定させ、国内市場を育て、地域の産業を支える。そのための仕組みをどのようにつくるのかが、構造改革をめぐる根本的な問いだったのです。
そして、この問いは、2007年当時の歴史的な論点にとどまりません。経済成長の成果を誰が受け取り、社会に必要な仕事をどのように支え、企業活動と人々の生活をどう結びつけるのか。日本経済の歩みを考えるうえで、今後も繰り返し検討されるべき課題といえるでしょう。
