2000年代初頭の日本経済は、大きな転換点に立っていました。バブル経済の崩壊から長期不況が続き、企業は過剰な設備や債務を整理し、製造業は国際競争の激化を受けて生産拠点を海外へ移していました。かつて日本経済を支えた産業が縮小する一方で、それに代わって国内の雇用や地域経済を支える産業が十分に育っているとはいえない状況でした。
こうした問題に対応するため、経済産業省は2004年5月に「新産業創造戦略」をまとめました。狙いは、将来の成長が期待される産業を重点的に育成し、技術革新を新たな需要につなげ、日本経済全体の持続的な成長を実現することです。そこには、燃料電池、情報家電、ロボット、コンテンツといった先端技術型の産業だけでなく、健康・福祉、環境、企業向けサービスなど、人々の生活や企業活動を支える産業も含まれていました。
この戦略の重要な特徴は、国際競争に勝つための産業と、国内で雇用を生み出す産業を、必ずしも同じものとは考えていなかったことです。高度な技術を持つ製造業が輸出を伸ばしても、生産性の向上や海外生産の拡大によって、国内の雇用が同じ割合で増えるとは限りません。むしろ、多くの人々が働く場として期待されたのは、医療・福祉、環境、企業向けサービスなどの分野でした。
ただし、産業の将来像を描くことと、その成長を実現することは別の問題です。政府が有望分野を指定すれば企業が育つのか。市場の競争に任せるだけで十分なのか。新しい産業が成長しても、そこで働く人々の雇用や所得は安定するのか。地域経済の再生と国際競争力の強化を両立できるのか。
2004年の「新産業創造戦略」は、こうした問いに対する当時の政策的な回答でした。同時に、その構想に含まれていた期待と矛盾を読み解くことで、産業構造の転換が企業経営だけでなく、雇用、福祉、地域社会、政府の役割にまで及ぶ問題だったことが見えてきます。
構造改革とサービス産業.pdf
1. 構造改革の次に何を生み出すのか
企業の立て直しだけでは経済全体は成長しない
1990年代以降の日本では、国際化と産業構造の変化に対応するため、いわゆる構造改革が進められてきました。その基本的な考え方は、競争力の弱い産業や経営効率の低い企業を縮小・再編し、そこで使われていた資金や人材を成長性の高い分野へ移すというものでした。
小泉内閣の経済運営を支えた「骨太の方針」も、構造改革を通じて経済の再生を目指す立場を明確にしました。不良債権の処理を進め、企業の過剰債務や過剰設備を整理すれば、経済の足かせが取り除かれ、新しい成長へ向かう条件が整うという考え方です。
しかし、企業の財務状態が改善することと、経済全体で新しい需要が生まれることは同じではありません。企業が借金を減らしても、消費者が商品やサービスを買わなければ売上は伸びません。設備を整理して生産効率を高めても、国内市場が拡大しなければ新たな投資は起こりにくくなります。
さらに、競争力の弱い企業が撤退すれば、そこで働いていた人々の雇用も失われます。新しい産業が十分に成長しなければ、失業者が成長分野へ移ることも難しくなります。つまり、古い産業を整理するだけでは、経済の新しい姿は完成しないのです。
「供給の改革」と「需要の創造」を一体で進める
この問題に対して重要になったのが、供給構造の改革と需要の創造を一体として進めるという発想でした。
供給構造の改革とは、企業の生産方法や事業構成を見直し、競争力を高めることです。それに対して需要の創造とは、人々や企業が新たに購入したいと思う商品・サービスを生み出し、市場そのものを広げることを意味します。
例えば、環境技術の研究開発を進めるだけでは、企業の売上は自動的には増えません。製品の価格を下げ、利用者にとっての利便性を高め、購入や導入を促す制度を整え、実際に使われる市場をつくる必要があります。技術を開発する企業と、それを利用する消費者や企業との間に市場が形成されて初めて、研究開発が事業の成長へ結びつきます。
2001年の産業構造審議会の報告では、長期不況の背景に需要不足があるとの見方が示され、イノベーションと需要の好循環をつくることが重視されました。2004年の「新産業創造戦略」は、この発想を具体的な産業政策へと展開したものと位置づけられます。
三つの段階で好循環をつくる構想
戦略が想定した好循環は、企業、産業、経済全体という三つの段階で進むものでした。
最初は、個々の企業が技術革新や商品開発によって新しい需要を生み出す段階です。新製品が売れれば企業の収益が改善し、その利益を次の研究開発や設備投資に回せるようになります。これが企業レベルの好循環です。
次に、個々の企業の成長が関連企業や産業全体へ広がります。例えば、情報家電の需要が増えれば、完成品メーカーだけでなく、半導体、電子部品、材料、製造装置、ソフトウェアなどの関連分野にも需要が生まれます。こうして産業構造そのものが変わっていく段階が想定されました。
最後に、産業の成長が設備投資、所得、雇用、消費の増加につながり、民間需要を中心とする経済成長を生み出します。
ただし、この連鎖は自動的に成立するわけではありません。企業が利益を上げても、国内投資や賃金が増えなければ、経済全体への波及は限定されます。成長産業の売上が伸びても、その生産が海外で行われる割合が高ければ、国内の雇用や取引先に恩恵が十分に及ばないこともあります。
新産業創造戦略の課題は、企業の成功を産業の成長へ、さらに産業の成長を国内経済全体の活力へとつなげることにありました。
2. 日本の将来を担う「重点七分野」
先端技術を武器に世界市場を開拓する
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「新産業創造戦略」は、重点的に育成する七つの産業分野を設定しました。大きく分けると、国際競争力を武器に世界市場を開拓する先端的新産業群と、社会のニーズ拡大に対応して国内の需要や雇用を生み出す産業群です。
先端的新産業群として掲げられたのは、燃料電池、情報家電、ロボット、コンテンツの四分野でした。
燃料電池は、水素などを利用して電気を生み出す技術です。自動車や家庭用電源などへの応用が期待され、化石燃料への依存を減らす可能性を持っていました。当時は、燃料電池自動車や家庭用燃料電池の実用化・普及が、エネルギー産業の将来を変える技術革新として注目されていました。一方で、耐久性や価格、供給インフラなどの問題があり、技術的な可能性を大規模な市場へ結びつけることが課題でした。
情報家電は、薄型テレビ、DVDレコーダー、デジタルカメラなど、情報技術と家庭用電気製品が融合した分野です。日本企業は、完成品だけでなく、電子部品、材料、製造装置などにも強みを持っていました。製品を構成する部品や材料の精度を高め、複数の技術を組み合わせる「すり合わせ」の能力が、競争力を支えていたのです。
ロボット産業では、工場の自動化だけでなく、介護支援、災害対策、警備などへの応用が期待されました。センサー、駆動装置、制御技術などを統合する能力は日本の製造業が得意としてきた領域です。しかし、技術が高度であることだけでは普及しません。実際の現場で安全に使えること、価格に見合う効果があること、利用者や事業者が導入する制度的な条件が整っていることも必要でした。
コンテンツ産業には、映画、音楽、出版、放送、アニメ、ゲームなどが含まれます。日本の作品やキャラクターが海外でも評価されるなか、文化的な魅力を国際市場での収益につなげることが期待されていました。ただし、作品をつくる能力と、世界へ販売し利益を確保する能力は別です。制作資金の調達、海外での流通、マーケティング、権利管理などの仕組みを整えることが重要な課題でした。
技術が優れているだけでは産業は育たない
これら四分野に共通するのは、技術開発の成果を市場で売れる製品やサービスへ転換する必要があることです。
研究開発に成功しても、価格が高すぎれば顧客は購入できません。製品をつくれても、販売網がなければ市場は広がりません。海外で人気を得ても、知的財産を適切に管理できなければ、利益を十分に確保できない場合があります。
情報家電は、この問題をよく示す分野でした。日本企業は高性能な完成品をつくるだけでなく、その製品を支える部品や材料でも強みを持っていました。しかし、完成品の生産が縮小すれば、部品メーカーや材料メーカーとの技術的な連携が弱まり、国内に蓄積されてきた知識や技能の維持が難しくなるおそれがあります。
産業の競争力は、単独の企業の技術力だけで決まるわけではありません。部品、材料、製造装置、設計、完成品、販売までをつなぐ産業の集積によって支えられています。先端産業を育てるには、研究開発への支援だけでなく、企業間の連携や人材育成、知的財産の保護、市場開拓まで視野に入れる必要がありました。
国内の雇用を支える三つの産業群
重点七分野のうち、健康福祉機器・サービス、環境・エネルギー機器・サービス、ビジネス支援サービスの三分野は、社会的な需要の拡大に対応し、雇用を生み出す産業として重視されました。
健康福祉機器・サービスには、医療、健康増進、介護、福祉機器、保険など幅広い領域が含まれます。高齢化が進む社会では、病気になった後の治療だけでなく、健康を維持するためのサービス、日常生活を支える介護、身体機能を補う機器などへの需要が増えると考えられました。
環境・エネルギー機器・サービスでは、太陽光発電やバイオマスなどの新しいエネルギー技術、環境負荷を減らす設備、廃棄物処理や環境保全などが重視されました。環境問題への対応を、規制や費用負担としてだけでなく、新たな製品・サービスの市場をつくる機会として捉える考え方です。
ビジネス支援サービスは、企業が行ってきた業務の一部を外部の専門事業者が担う分野です。情報処理、広告、調査、物流支援、人材派遣、機械修理、各種の専門サービスなどが含まれます。企業が自社ですべての業務を抱え込むのではなく、外部の専門家や事業者を活用することで、コストを抑えながら専門性を高めることが期待されました。
この三分野は、技術革新によって世界市場を開拓する産業とは異なる役割を担っていました。国際競争力のある先端産業が輸出を伸ばす一方で、国内の生活や企業活動を支えるサービス産業が、幅広い人々の働く場をつくるという構図です。
七分野の市場規模に込められた期待
当時の戦略は、重点七分野の市場規模が、合計で2000年代初頭の約200兆円から2010年には約300兆円へ拡大すると予測していました。これは、七分野が国内生産の大きな部分を占めるほどに成長し、日本経済を牽引するという見通しでした。
個別分野でも大幅な成長が見込まれていました。情報家電は約10兆円から18兆円へ、ロボットは約0.5兆円から1.8兆円へ、コンテンツは約11兆円から15兆円へ拡大すると予測されていました。健康福祉機器・サービスは約56兆円から75兆円、環境・エネルギー機器・サービスは約52兆円から78兆円、ビジネス支援サービスは約76兆円から107兆円へ成長すると見積もられていました。燃料電池については、商業化の進展を前提に、2010年の市場規模を約1兆円とする見通しが示されていました。
ただし、これらは当時の政策的な予測です。実際にどこまで市場が拡大したかを示す実績値ではありません。市場規模の推計は、技術開発の進展や制度改革、需要の増加など、一定の条件が実現することを前提としています。予測の数字が大きいほど、その実現に必要な条件を具体的に検証することが重要になります。
産業政策においては、将来性のある市場を発見することと、予測された成長を実際に起こすことを区別しなければなりません。市場規模の見通しは、政策の目標を示す一方で、実現を保証するものではなかったのです。
3. 新産業を生み出すための政策プログラム
研究開発から市場の形成までを支える
新産業創造戦略は、将来性のある産業分野を列挙するだけでなく、産業を育成するための具体的な取り組みも重視していました。新しい産業をつくるには、研究者や技術者が優れた技術を開発するだけでは不十分です。企業が技術を製品化し、利用者が購入し、継続的な需要が生まれるまでの過程を支える必要があります。
例えば燃料電池の場合、研究開発を進めるだけでなく、耐久性や安全性を高め、製造コストを下げ、利用するための設備や供給体制を整えなければなりません。情報家電であれば、製品の性能だけでなく、電子部品や材料の供給、製造装置の開発、企業間の技術連携、知的財産の管理が重要になります。
ロボットでは、工場などの限定された環境で動く技術を、介護施設や災害現場など人間の生活に近い場所へ持ち込む際の安全性や運用方法が問題になります。コンテンツ産業では、作品を制作する人々が適切な対価を得られるようにし、海外展開に必要な資金や販売網を整えることが求められます。
このように、研究開発、製品化、販売、市場の拡大は、それぞれ異なる課題を持っています。政府の役割は、特定の技術を開発するよう企業に指示することだけではなく、技術が事業として成立するための障害を取り除き、産業全体の成長条件を整えることにあると考えられました。
技術の成果を国内に蓄積する
当時の産業政策で重要視されたのが、知的財産と技術の蓄積です。企業が海外に生産拠点を設けることは、国際競争のなかで合理的な選択となり得ます。しかし、国内で生まれた技術やノウハウが海外へ流出し、研究開発や高度な部品生産まで国内から失われれば、長期的な競争力が弱まる可能性があります。
そのため、研究開発や商品企画、システム設計、高付加価値部品の生産など、知識や技術を生み出す機能を国内で維持・強化することが課題となりました。海外生産を一律に否定するのではなく、国際分業を進めながらも、国内に残すべき技術や産業基盤を見極めるという考え方です。
これは、工場の数や製造品の量だけで産業の強さを測ることができなくなっていたことを意味します。重要なのは、製品を組み立てる場所だけでなく、技術を生み出し、設計し、改善し、次の事業へ発展させる能力をどこに蓄積するかという問題でした。
産業政策は企業任せでよいのか
新産業創造戦略は、市場の競争に任せるだけでは、新しい産業が望ましい形で育つとは限らないという立場を取っていました。
新技術の事業化には大きな費用と時間がかかります。企業が将来の市場を確信できなければ、長期的な研究開発への投資を控えることがあります。また、社会全体には利益があっても、個々の企業だけでは十分な収益を得られない事業もあります。環境対策やエネルギー転換のように、社会的な便益が市場価格に反映されにくい分野では、制度設計や公共調達などを通じて需要を形成する必要があります。
ただし、政府が重点分野を選ぶことにも難しさがあります。技術の進歩や消費者の好みは変化し、将来有望とされた事業が必ず成功するとは限りません。行政が特定の企業や技術を過度に優遇すれば、競争や新規参入を妨げる可能性もあります。
したがって、産業政策には二つの能力が必要です。一つは、企業だけでは解決しにくい研究開発や市場形成の課題に取り組む能力です。もう一つは、政策の前提が変化したときに、支援方法を見直す能力です。重点分野を選ぶこと自体よりも、技術と市場の変化に合わせて政策を修正できるかどうかが、長期的な成否を左右します。
4. 産業構造と雇用はどのように変わると予測されたのか
成長産業の拡大は雇用の増加につながるのか
新産業創造戦略の大きな特徴は、産業の生産額だけでなく、雇用構造の将来像も描こうとしたことです。産業が成長すれば、必ず多くの人を雇うとは限りません。高度な自動化や効率化が進む産業では、生産額が増えても雇用がそれほど増えないことがあります。
例えば、先端的な製造業が世界市場で競争するには、製品の性能を高めながら製造コストを抑える必要があります。そのために自動化を進めたり、海外に生産拠点を設けたりすれば、企業の競争力は向上しても、国内で必要とされる労働者の数は増えない可能性があります。
これに対して、医療・福祉・介護や各種の生活支援サービスでは、人間による判断、対話、観察、個別対応が必要な場面が多くあります。技術による効率化は進んでも、利用者の状態や生活環境に合わせて支援を行う仕事が残ります。そのため、社会的な需要が拡大するサービス分野は、国内の雇用を支える受け皿として期待されました。
当時の予測では、健康福祉機器・サービスの雇用規模は2002年の約551万人から2010年には約750万人へ、環境・エネルギー機器・サービスは2001年の約144万人から約191万人へ、ビジネス支援サービスは2000年の約672万人から約750万人へ拡大すると見込まれていました。三分野を合わせると、雇用規模は約1,322万人から約1,691万人へ増加するという計算です。
ここでも注意が必要です。これらの数値は、当時の産業分類や推計条件に基づく将来予測であり、その後の実際の雇用増加を示す数字ではありません。また、雇用者数が増えることと、働く人々の賃金や雇用の安定性が改善することも同じではありません。
ビジネス支援サービスの拡大と外注化
ビジネス支援サービスの成長には、企業経営の変化が深く関係していました。
企業は、すべての業務を社内で処理するのではなく、経営上の中核となる仕事に人材や資金を集中させ、それ以外の業務を外部の専門事業者に委ねるようになっていました。これがアウトソーシングです。情報処理、広告、物流、機械修理、人材派遣、会計や法務など、外部委託の対象は幅広い領域に及びます。
外部委託には利点があります。専門的な設備や人材を自社で抱えずに済み、必要なサービスを必要な量だけ利用できます。専門事業者が複数の顧客を担当すれば、経験や技術を蓄積し、サービスの質を高められる場合もあります。
一方、企業の業務が外部化されると、従来は大企業の正社員として働いていた人々が、別のサービス企業や派遣会社などに雇用されることがあります。業務そのものがなくならなくても、雇用される企業、契約形態、賃金や福利厚生の条件が変わる可能性があるのです。
つまり、産業統計上はビジネス支援サービスの雇用が増えていても、それがすべて新たな仕事の純増を意味するとは限りません。企業内部から外部のサービス産業へ移された仕事も含まれるからです。産業構造の変化を評価する際には、どの産業に人が移ったかだけでなく、その人々がどのような条件で働いているかを確認する必要があります。
非正規雇用の拡大というもう一つの側面
当時の戦略は、企業の業務外注化や産業構造の変化に伴い、非正規雇用の比率が上昇していく可能性も示していました。パートタイム労働者や派遣労働者など、多様な働き方が広がることは、企業にとって人員配置を柔軟にする手段となります。働く側にとっても、時間や生活上の事情に合わせて仕事を選びやすくなる場合があります。
しかし、柔軟性が企業側の都合だけで使われれば、労働者の側には不安定さが残ります。契約更新への不安、所得の変動、教育訓練の機会の少なさ、昇進や技能形成の難しさなどが問題になり得ます。
ここには、新産業育成の政策が抱えていた重要な論点があります。新しい市場が生まれ、雇用者数が増えたとしても、雇用の質まで自動的に改善するわけではありません。産業政策が生産額や市場規模だけを成果の指標とするなら、働く人々の生活の安定や技能の蓄積が置き去りになる可能性があります。
成長産業を育てることと、そこで働く人々が安心して働き続けられる条件を整えることは、別々に扱うべき課題ではありません。人材の能力が産業の競争力を支える以上、雇用の質は産業政策そのものの重要な一部となります。
2025年、人口減少を前にした予測
戦略は、少子高齢化による人口構成や世帯構成の変化も、将来の産業構造を左右する要因として考慮していました。高齢者が増えれば医療・介護や健康関連の需要が増える可能性があります。世帯の小規模化や生活様式の変化は、住宅、家事支援、個人向けサービスなどへの需要にも影響します。
当時の推計は、2025年まで実質1.5〜2.0%程度の経済成長が続くという前提を置き、産業別の生産額や雇用の変化を見通そうとしていました。情報家電や化学製品、医療福祉介護、対事業所サービスなどは大きく伸びると予測される一方、人口減少や公共投資の抑制などの影響を受ける産業も想定されていました。
こうした予測には、人口減少が単なる労働力不足の問題ではなく、消費の内容、企業の事業構成、地域のサービス需要を変える構造的な問題だという認識が表れています。
ただし、経済成長率を一定の範囲で想定して産業別の生産額を試算しても、その成長がどのように実現するのかまでは自動的に説明できません。企業の投資、家計の消費、技術の進歩、政府の政策、国際経済の動きなどが複雑に関係するためです。将来予測は、政策の方向を考える手掛かりにはなりますが、確実な未来の設計図ではありません。
5. 地域経済を再生するための産業政策
地域にある技術、文化、人材を新しい事業へつなぐ
新産業創造戦略が目指したのは、日本全体の産業競争力を高めることだけではありません。地域経済を支える産業を育て、地域に新しい仕事を生み出すことも重要な目標でした。
地方には、長い歴史のなかで培われてきた製造技術、独自の素材や部品をつくる中小企業、農林水産業の資源、伝統文化、観光資源などが存在します。しかし、こうした強みがあるからといって、それだけで新しい市場が生まれるとは限りません。地域の企業が個別に活動しているだけでは、研究開発に必要な資金や人材を確保できず、製品を開発しても販売先を広げられないことがあります。
そこで重視されたのが、地域の企業、大学、研究機関、行政などがつながり、それぞれの能力を組み合わせることでした。大学の研究成果を地元企業が製品化する。地域の製造業が持つ加工技術を新しい産業分野に応用する。自治体や観光事業者が連携し、地域固有の魅力を商品やサービスとして発信する。こうした活動を通じて、地域に蓄積された資源を新しい事業へ転換することが期待されました。
重要なのは、地域振興を単なる企業誘致として捉えないことです。大企業の工場を誘致すれば、一定の雇用や取引が生まれる可能性があります。しかし、その工場が地域の企業や人材と十分につながらなければ、地域経済に技術や知識が蓄積されない場合もあります。反対に、地域の企業や大学が相互に連携し、技術や人材を育てる仕組みを持てば、一つの事業が縮小しても、蓄積された能力を別の事業に活用できる可能性があります。
産業クラスターと地域ブランド
地域の産業を育てる考え方の一つが、産業クラスターです。産業クラスターとは、関連する企業や大学、研究機関などが一定の地域に集まり、競争と協力を通じて新しい技術や事業を生み出す仕組みを指します。
企業が近くに立地しているだけでは、産業クラスターとして十分に機能するとは限りません。企業同士が情報を交換し、必要な人材を育て、共同で研究開発や製品化を進める関係が重要になります。地域にある技術を組み合わせることで、一社だけでは実現できない製品やサービスを生み出すことができるからです。
地域ブランドも、こうした連携と関係しています。ブランドは、地域名や伝統的な名称を付ければ成立するものではありません。品質への信頼、独自の技術、地域文化との結び付き、継続的な顧客対応などが積み重なって、初めて市場で意味を持つようになります。
例えば、伝統的な工芸技術を現代の生活用品に応用する場合、職人の技能だけでなく、デザイン、商品企画、販路開拓、オンライン販売、品質管理などの能力も必要です。観光を軸に地域の魅力を発信する場合にも、宿泊や飲食だけでなく、交通、案内、地域文化の継承、地元産品の販売などが連動しなければ、継続的な地域経済の活性化にはつながりにくくなります。
地域に根差した産業の成長には、技術力に加えて、地域内外の人々を結び付ける仕組みが欠かせません。新産業創造戦略は、先端技術の開発と並んで、地域の資源を生かした事業づくりにも目を向けていました。
地域サービス産業の革新
地域経済を支えるのは製造業だけではありません。観光、健康、飲食、生活支援など、地域住民や訪問者にサービスを提供する事業も、地域の雇用や所得を支える役割を担います。
地域サービス産業の強みは、地域の自然、文化、歴史、人々の暮らしと密接に結び付いていることです。こうした特徴は、どこでも同じように生産できる工業製品とは異なる価値を生み出します。一方で、地域内の需要だけに依存していると、人口減少や消費の縮小によって事業が難しくなることもあります。
そのため、地域の独自性を保ちながら、域外からも顧客を呼び込み、付加価値の高い商品やサービスを提供することが課題になります。地域の食文化を観光や商品開発につなげることも、地元企業の技術を新たな産業へ応用することも、その一例です。
もっとも、地域の事業を育てるには、ブランドづくりだけでなく、事業を継続できる収益構造や人材の確保が必要です。地域の魅力を発信するだけでなく、その魅力を継続的な仕事と所得へ結び付けられるかどうかが問われていました。
6. 「新産業創造戦略」が残した課題と歴史的な意味
成長産業の予測は何を見落としやすいのか
新産業創造戦略は、成長が期待される産業を具体的に示し、市場規模や雇用規模の将来予測を通じて、日本経済の進む方向を描こうとしました。その意義は、産業構造の転換を企業の合理化だけで捉えず、新しい需要や産業を積極的につくり出そうとした点にあります。
しかし、成長分野を設定し、将来の市場規模を推計することには限界があります。第一に、技術が実用化される時期や市場に普及する速度を正確に予測するのは難しいという問題があります。研究開発が進んでも、価格や安全性、使い勝手などが利用者の期待に届かなければ、市場は予測どおりに拡大しません。
第二に、市場全体が成長しても、その利益が国内にどれほど残るかは別の問題です。海外生産が拡大すれば、国内企業の売上が伸びても、雇用や生産活動の一部が海外に生まれる場合があります。逆に、完成品の生産が縮小しても、国内に高付加価値の部品、材料、研究開発、設計などが残っていれば、産業の競争力を維持できる可能性があります。
第三に、産業の成長が国民生活をどのように改善するかという問題があります。生産額や市場規模が増えても、賃金が伸びず、雇用が不安定になり、地域間の格差が広がるなら、成長の成果が社会全体に十分に行き渡っているとはいえません。
したがって、産業政策を評価する際には、市場規模や生産額だけでなく、国内の技術蓄積、労働生産性、賃金、雇用の安定性、地域への波及効果などをあわせて考える必要があります。
構造改革による雇用喪失を、どの産業が補うのか
戦略の背景にあったのは、構造改革によって競争力の弱い産業が縮小しても、新しい成長産業が同じように雇用を吸収してくれるとは限らないという問題でした。
1990年代半ば以降、製造業では海外生産の拡大や生産性の向上などを背景に、国内雇用が縮小する傾向がみられました。そこで政府の政策文書では、将来の成長分野を特定し、そこで生まれる雇用によって、縮小する産業からの労働移動を支えるという構想が繰り返し示されてきました。
しかし、1994年の「21世紀の産業構造」や1997年の「経済構造の変革と創造のための行動計画」など、先行する政策構想が掲げた雇用拡大の見通しも、その後の産業構造の変化に応じて修正されていきました。情報通信などの成長期待分野についても、雇用がどれほど増えるかという予測は、時期によって大きく変わっていました。
2001年の「骨太の方針」では、サービス部門が雇用を吸収する受け皿として重視されました。2004年の新産業創造戦略も、先端技術産業による国際競争力の強化と、サービス産業による国内雇用の拡大を組み合わせようとするものでした。
ここで問われるのは、成長産業を育てれば、縮小産業で職を失った人々が自然に移動できるのかということです。実際には、必要とされる技能、勤務地、賃金水準、雇用形態などが異なります。製造業で長年働いてきた人が、医療・介護や企業向けサービスへすぐに移れるとは限りません。新しい産業が成長していても、そこで必要とされる技能を身に付ける機会がなければ、産業間の雇用移動は進みにくくなります。
そのため、産業政策には、人材育成や職業訓練、労働移動の支援、雇用条件の整備を組み合わせる必要があります。産業の新陳代謝を進めることと、そこで働く人々の生活を支えることを切り離さない視点が求められます。
サービス産業の成長を、規制緩和だけで実現できるのか
新産業創造戦略が重視したサービス産業については、規制改革や民間企業の参入をどのように進めるかという問題もありました。
医療、介護、保育、教育、環境などのサービスには、社会的な必要性が高いものが多く含まれています。利用者が必要とするサービスを十分に提供するには、事業者が参入しやすい制度や、持続的に事業を運営できる仕組みが必要です。民間企業の創意工夫によってサービスの選択肢が増え、利用者の利便性が高まる可能性もあります。
しかし、これらの分野は一般的な商品市場とは異なる性格を持っています。医療や介護では、利用者がサービスの品質を事前に判断することが難しい場合があります。生活に不可欠なサービスであれば、所得や居住地域によって利用できるサービスに大きな差が生じないようにする必要もあります。
規制を緩和すれば参入事業者が増える可能性はありますが、それだけでサービスの質が向上し、必要な人々に十分なサービスが届くとは限りません。事業者が利益を確保しやすい地域や利用者にサービスが集中し、採算を取りにくい地域では供給が不足することも考えられます。
また、サービス産業の成長を、公共サービスの民間委託によって実現する場合には、行政の支出削減とサービスの質を両立できるかが課題になります。費用を削減しても、利用者への対応や安全管理が不十分になれば、社会全体にとって望ましい改革とはいえません。
必要なのは、民間か公共かという二者択一ではなく、どのサービスをどのような主体が担い、誰が費用を負担し、どのような基準で品質を確保するかを考えることです。サービス産業の市場を拡大する政策には、競争促進と同時に、利用者の権利、サービスの質、働く人々の条件を守る仕組みが求められます。
産業の成長と社会の豊かさを結び直す
新産業創造戦略が示した構想を振り返ると、産業政策の目標が単に製造業の生産額を増やすことではなくなっていたことがわかります。日本の強みを生かして国際市場で競争する産業を育てると同時に、高齢化や環境問題、企業活動の変化などから生まれる新たな需要に対応し、国内の雇用を支える産業をつくろうとしていました。
この構想には、技術革新を経済成長につなげるという期待が込められていました。しかし、技術革新が生む利益を誰が得るのか、産業の成長がどのような雇用を生むのか、地域の人々にどのような機会をもたらすのかという問題は、技術や市場の成長だけでは解決できません。
例えば、介護ロボットの開発は、介護現場の負担軽減や安全性の向上に貢献する可能性があります。ただし、機器を導入するだけで介護の人手不足が解消するわけではありません。現場で使いこなすための研修、機器の保守、利用者の状態に応じた運用方法、介護職員が専門性を発揮できる勤務体制なども必要です。
環境技術についても、優れた設備を開発するだけでなく、導入費用を負担できる制度、利用者が投資効果を得られる仕組み、地域の事業者が参加できる市場を整えることが欠かせません。技術を社会に普及させるには、技術開発と制度設計、サービスの提供、人材育成を一体として考える必要があります。
この意味で、新産業創造戦略は、産業の成長と社会の課題解決を結び付けようとした試みでもありました。その一方で、成長の成果を社会全体へどう分配するか、雇用の質をどう確保するかという課題を、産業育成だけで解決できるわけではないことも浮かび上がります。
7. 2004年の構想から現在を考える
将来予測は、当時の問題意識を映し出す
2004年の新産業創造戦略を歴史的に読むとき、当時の市場規模や雇用規模の予測を、そのまま実現した未来として扱わないことが大切です。燃料電池やロボット、情報家電、コンテンツ、健康福祉、環境、ビジネス支援サービスについて示された数値は、当時の技術水準や政策目標、成長期待を前提にした見通しでした。
それでも、この構想には、当時の日本経済が何を課題と認識していたかがはっきりと表れています。
第一に、国際競争力を維持するには、国内に技術や知識を蓄積し続けなければならないという問題意識です。単に製品を安く大量に生産するだけでなく、研究開発、設計、知的財産、部品や材料などの高度な能力をどう守り育てるかが重視されました。
第二に、製造業の競争力が強くても、それだけでは国内雇用を十分に支えられないという認識です。雇用の受け皿としてサービス産業が注目され、医療・福祉、環境、企業向けサービスなどの成長が期待されました。
第三に、人口減少や高齢化が産業構造を変えるという見通しです。産業の将来は技術革新だけでなく、人々の年齢構成、世帯のあり方、消費行動、地域の人口動態によっても左右されます。
第四に、産業の成長を市場任せにするのではなく、政府が研究開発や制度整備、市場形成を支援する必要があるという考え方です。ただし、政府の支援がどこまで有効なのか、どの分野を優先すべきなのかという問題は、常に検証を必要とします。
成長分野を選ぶだけでは、産業構造は変わらない
新産業創造戦略の最も重要な教訓は、将来有望な分野を選び、成長目標を掲げるだけでは、産業構造の転換は実現しないという点にあります。
新しい産業が育つには、研究開発への投資、製品化を支える技術、利用者の需要、企業間の取引、人材育成、資金調達、販路開拓など、多くの条件が必要です。さらに、産業の成長を国内雇用や地域経済の活性化へつなげるには、雇用の移動を支える仕組みや、地域に技術や知識を蓄積する取り組みも求められます。
そして、成長産業の成果を測る際には、売上高や市場規模だけでなく、どのような仕事が生まれたのか、働く人々の技能や所得がどう変化したのか、サービスを必要とする人々に十分な支援が届いたのかを問う必要があります。
産業の競争力と社会の豊かさは、必ずしも自動的に一致しません。企業が効率化に成功しても、その成果が賃金や国内投資へ結び付かなければ、経済全体の好循環は弱いままです。市場が拡大しても、必要なサービスを利用できない人々が残るなら、社会的な課題は解決されません。
新産業創造戦略が目指した「イノベーションと需要の好循環」を本当に実現するには、技術を生み出すこと、事業を成長させること、雇用を支えること、社会の課題を解決することを、一つの流れとして結び付ける必要があります。
2004年の構想は、構造改革によって古い産業を縮小するだけでなく、新しい産業を意識的に育てなければならないという問題を提示しました。同時に、産業の成長を人々の生活の向上へつなげるには、産業政策だけでなく、雇用政策、福祉政策、地域政策を組み合わせる必要があることも示しています。
産業の新陳代謝は、それ自体が目的ではありません。技術や企業のあり方が変わることで、人々が新しい仕事に就き、生活を支えるサービスを利用でき、地域が次の時代に必要とされる能力を育てられるようになることが重要です。
新産業創造戦略を歴史の証言として捉えると、そこに見えてくるのは、単なる「成長産業の一覧」ではありません。日本経済が、製造業中心の発展モデルから、技術、サービス、知識、地域の能力を組み合わせた経済へ移行しようとした時代の試行錯誤です。そして、その問いは現在にも通じています。どの産業を成長させるかだけでなく、その成長を誰の豊かさにつなげるのか。 これこそが、産業構造の転換を考えるうえで、今もなお重要な課題なのです。
