覚醒理論(The Arousal Theory)は、適度の覚醒は学習を促進させるが、過度の覚醒は否定的な効果をおよぼすというもの。培養理論(The Cultivation Theory)とは、マス・メディアが同じメッセージやイメージをくり返し与えることによって、受け手は一定の共通の世界のイメージをつくり上げていくというもの。テレビ番組がつくり上げる世界イメージが本物の世界と思ってしまう。その意味でテレピは潜在的な培養者である。認知的不協和理論(The Cognitive Dissonance Theory)とは、人はたえず態度、信念、行動を一貫性(Consistency) あるものにすることを欲している。不快なことに直面したさい、それを避けようとするが、避けがたいことが分かると、自分の行動を変えようと決心する。「たばこは健康に悪い」というメッセージがマス・メディアから継続的に大量に流れると、禁煙を決意する人も出てくる。これはフェスティンガー(Leon A. Festinger)の説である。

主体性ある受け手

このほか政治・経済理論とかシステム理論とか知識差(Knowledge gaps)理論などいろいろな理論がある。多角的にマス・メディアの特徴を理論的にとらえようとする試みが行われてきたわけで、これからも新しい学説が展開していくことであろう。

マス・メディアやマス・コミュニケーションという行為そのものは善であるとか悪であるとか決めることはできない。いろいろな外部、周辺の動きの中でマス・メディアが時にはポジティブに機能する場合があれば、ネガティブに作用する場合もあろう。その特徴を冷静に見極めて、プラスの機能、効果、影響を将来の生活の中に生かしていく努力が受け手に求められていると言えよう。受け手あってのマス・メディアである。その点、賢い受け手、主体性を持った受け手になることが必要であろう。マス・メディアに振り因されるだけの受動的な受け手ではなく、送り手と同格であるとの気概を持った受け手になることが大切。それが結局は質の高いマス・メディアを生むことにも役立つはずである