わずか三十二音。世界でもっとも歌詞の短い国歌のひとつであり、おそらくもっとも古い歌詞をもつ国歌。しかしその一句ごとに、和歌史・地質学・雅楽・お雇い外国人・そして近代日本の自意識が折り畳まれている。
「さざれ石の巌となりて」……長らく多くの人が、これを詩的な誇張だと受け取ってきた。小石が岩になるはずがない、だからこそ「あり得ないほど長い時間」の比喩なのだ、と。ところが実際には、小石が固まって巨岩になる現象は存在する。この一点に気づくところから、「君が代」の読みは大きく変わりはじめる。
「わが君は」賀歌としての出発
歌詞の原型は、905年前後に成立した『古今和歌集』にある。巻七「賀歌」の巻頭、第三四三番。作者は読人知らず、つまり不詳である。
わが君は 千代に八千代に
さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで『古今和歌集』巻七 賀歌・三四三 読人知らず
注目すべきは初句が「わが君は」である点だ。現在の「君が代は」という形が現れるのは、藤原公任が11世紀初頭に編んだ『和漢朗詠集』の、ある写本からだとされる。つまり歌詞は、成立から一世紀ほどのあいだに主語のかたちを変えている。
「賀歌」とは何か
『古今集』の「賀歌」は、今日の「お祝いの歌」よりも輪郭のはっきりしたジャンルだった。中心にあるのは算賀(四十歳、五十歳、六十歳と、十年ごとの節目に長寿を祝う儀礼)である。そこで詠まれる歌は、目の前にいる相手の寿命がどこまでも延びるようにと願う。
したがって、原歌の「君」は、天皇を指すとは限らない。主君でもよく、宴の主人でもよく、恋人であってもよい。古語の「君」は二人称の敬称であり、要するに「あなた」である。そして「代(よ)」には「寿命」「一生」という意味がある。「君が代」とは、素朴に訳せば「あなたの一生が」となる。
三十一音の短歌としては、「さざれいしの」が六音で一音多い字余りとなり、全体で三十二音になる。国歌として歌われる際、この一音の膨らみが「さ・ざ・れ・い・し・の」という独特のうねりを生んでいる。
細石は岩になる:一句の博物誌
「細石」は文字どおり細かい石、小石を意味する語である。しかし日本語には、この語のもうひとつの用法がある。小石どうしが接着して一個の巨岩となった岩石を指す用法だ。
学術的には石灰質角礫岩と呼ばれる。生成の仕組みはこうだ。石灰岩が長い年月をかけて雨水に溶け、その際に生じた粘着力の強い乳状の液(鍾乳石と同質のもの)が小石を少しずつ凝固させ、やがて巨石となり、河川の浸食によって地表に露出して苔をまとう。溶けた石灰岩の炭酸カルシウムが、天然のセメントとして働くのである。S T A G E 1…河原の小石、S T A G E 2…雨水が石灰岩を溶かす、S T A G E 3…巌となり、苔がむす石灰質角礫岩の生成。歌の言葉は、この三段階をそのまま順に述べている。「さざれ石の/巌となりて/苔のむすまで」。
実在する「君が代発祥の地」
もっとも知られた産地が、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日(旧・春日村)である。揖斐川町春日笹又地区の粕川(地元では長谷川とも呼ぶ)の河原に石灰質角礫岩の巨大なものがひとつあり、周囲には同様の中小のものが散在する。滋賀県境に近く、伊吹山(1377メートル)が西に間近に望まれる、伊吹山三合目にあたる場所である。春日谷には石灰質の石が多く、それが長年のうちに雨水に溶けて乳状液となり、大小の角礫をしだいに集結させて現在の岩となった。指定されたこの巨岩は横5.6メートル、高さ3.0メートル、最大部の厚さ2.7メートル、重さおよそ50トンにおよぶ。昭和52年3月18日に春日村の天然記念物、同年11月18日に岐阜県の天然記念物に指定された。
現在この一帯は「さざれ石公園」として整備され、中央の石碑には「さざれ石 国歌 君が代発祥の地」と刻まれている。全国の神社(伊勢神宮、下鴨神社、護王神社など)の境内にさざれ石が据えられているのを見かけるのも、この岩石が「君が代」の証拠物件として篤く扱われてきたためである。
ここから、歌の情景の読み方が一段深くなる。作者は「あり得ないこと」を挙げて時間の長さを誇張したのではない。おそらくは実際に苔むしたさざれ石を見ていた。小さな石が寄り集まり、ひとつの岩へと育ち、その表面を苔が覆うまで、目の前にある岩そのものが、途方もない時間の実物見本だったのである。誇張ではなく観察だったとすれば、この歌は一気に手ざわりを持ちはじめる。
「巌」と「苔のむす」
「巌」は大きな岩塊を指す語で、「岩」よりも量感がある。「むす」は「生す」、生い出るという意味の動詞で、「産す」と同根とされる。つまり苔は「生える」のではなく生まれ出る。石の成長と苔の発生が、どちらも生命的な語彙で語られている点は見逃せない。日本には磐座信仰をはじめ、石を生きたもの・育つものとみなす感覚が古くからあり、この歌はその土壌の上に立っている。
そして「千代に八千代に」。これは千年・八千年という具体的な数ではなく、千の代を、さらに八千の代をと代を重ねていく、終わりのない反復の言い方である。三十二音のうちにこれだけの時間感覚が畳み込まれている歌は、世界の国歌を見渡してもまず類例がない。
千年のあいだ歌われつづけた歌
「君が代」を理解するうえで最も見落とされやすいのは、この歌詞が明治に発掘された古歌ではないという事実である。『古今集』以後の約千年、それは絶えることなく歌われつづけていた。
『和漢朗詠集』に採られたことで、まず朗詠(節をつけて歌う漢詩・和歌のレパートリー)として貴族社会に定着した。中世には今様や謡曲に取り込まれ、近世に入ると地歌や長唄などにも採り入れられ、祝賀の歌詞として広く用いられた。隆達節、小唄、祝言歌、盆踊り歌、酒席の祝いの唄など、名を挙げればきりがない。
つまり江戸時代の日本人にとって「君が代は千代に八千代に」は、婚礼や年賀や商売繁盛の場で口をついて出る慣用的な寿ぎの文句だった。誰の作かも、どの歌集に載っているかも知らずに、多くの人が歌えた。明治政府が国歌の歌詞を探したとき、この歌詞が浮上したのは偶然ではない。既に全国民が知っていたからである。
近代国歌への道:二度作られた旋律
ここからが、「君が代」のもうひとつの物語である。現在私たちが歌う旋律は、千年の歌詞に対してわずか百四十余年の歴史しか持たない。しかも、一度失敗している。
第一の君が代:フェントン版(1869〜76)
1869年(明治2)ごろ、横浜にいたイギリス軍楽隊長J・W・フェントンが国歌の必要を説き、薩摩藩砲兵隊長・大山弥助(のちの元帥陸軍大将・大山巌)が薩摩琵琶歌『蓬莱山』に含まれていた「君が代」を歌詞として選定した(選者については異説がある)。フェントンがこれに作曲した。初演は明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際、薩摩藩楽隊による演奏だったとされる。
外交儀礼の場で、国の歌を持たないことは不都合であるという、きわめて実務的な動機から始まった点は押さえておきたい。当初の「君が代」は、理念の表明というより儀礼上の必要品だった。
だがこの旋律は定着しなかった。日本人の感性に合わなかったため、明治九年、初代海軍軍楽隊長の長倉彦二(のち中村祐庸と改姓名)から「天皇陛下ヲ祝スル樂譜改訂ノ儀」と題する上申書が提出され、宮内省と改訂の方向で検討に入った。作曲者が日本語の抑揚を解さなかったこと、歌詞と旋律の区切りが噛み合わなかったことが主たる理由だった。
第二の君が代:雅楽課とエッケルト(1880)
改訂作業は西南戦争で中断したのち再開する。1880年(明治13)7月、楽譜改訂委員として海軍楽長・中村祐庸、陸軍楽長・四元義豊、宮内省伶人長・林廣守、前年来日したドイツ人で海軍軍楽教師のフランツ・エッケルトの四名が任命された。採用されたのは林廣守が雅楽の壱越調の旋法で作曲したものだが、実際には廣守の長男・林廣季と宮内省式部職雅樂課の伶人・奥好義がつけた旋律をもとに廣守が曲を起こしたものと認められる。この曲に、改訂委員のひとりであるエッケルトが西洋式和声を付し、吹奏楽用に編曲した。
公式には「林廣守撰譜」と表記されたが、実質的な旋律の作者は当時二十二歳の奥好義だったとする見方が現在では有力である。牛込見附の雅楽稽古場で宿直中だった奥が書いた曲を、同席していた同僚の林廣孝が、その出来の良さから、選抜に関わっていた父・廣守に渡して候補に加えた、という経緯が伝えられている。
こうして新たに作り直された「君が代」は、明治13年11月3日の天長節に、宮内省式部寮雅楽課によって宮城内で初演された。ただしこの時点で国歌として扱っていたのは、海軍省と宮内省のみであった。
国歌になるまでの長い後半戦
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 905頃 | 『古今和歌集』賀歌の巻頭に「わが君は…」が載る |
| 1013頃 | 『和漢朗詠集』を経て「君が代は…」の形が広まる |
| 中世〜近世 | 朗詠・謡曲・地歌・長唄・祝言歌として全国に浸透 |
| 1869 | フェントンの提案により歌詞が選定される |
| 1870 | フェントン作曲版を初演(越中島・天覧練兵) |
| 1876 | 中村祐庸が改訂の上申書を提出 |
| 1880 | 雅楽課による新曲+エッケルトの和声付け、天長節に初演 |
| 1888 | 「大日本礼式」として海軍省から各条約国へ送付 |
| 1893 | 文部省告示「祝日大祭日歌詞竝樂譜」に収載、学校へ |
| 1914 | 海軍礼式令が国歌として採用、事実上の国歌が確立 |
| 1945 | 戦前の告示が効力を失い、法的根拠のない慣習となる |
| 1999 | 国旗及び国歌に関する法律により法制化 |
エッケルトの編曲した「君が代」は、明治21年、海軍省から各条約国に『大日本礼式』(JAPANISCHE HYMNE)の題名で送付された。調は変ロ長調(フラット二つ)だった。そして明治26年8月12日、官報第三三七号に文部省告示「祝日大祭日歌詞竝樂譜」が掲載された。学校の式典で歌われるようになったのは、この一八九三年の告示以降である。
法的な決着は、実に一世紀以上のちのことだった。平成十一年八月十三日、内閣総理大臣・小渕恵三のもとで「国旗及び国歌に関する法律」(法律第百二十七号)が公布され、第二条に「国歌は、君が代とする」と定められた。同法は同日施行された。
音楽としての奇妙さ
「君が代」の旋律は、世界の国歌のなかで際立って異質である。その理由は、生まれの二重性にある。
壱越調律旋:雅楽の骨格
旋律は壱越調律旋により作られた。壱越はおおむねニ音(D)を主音とする雅楽の調子であり、律旋法は半音を含まない五音音階である。ここから、他国の国歌にはまず見られない特徴が生じる。
- 導音がない。西洋音楽で終止感を生む「主音の半音下」という音が存在しないため、終わりが宣言的に決まらず、静かに溶けるように閉じる。
- 弱起がない。多くの国歌が持つ勇ましい「タッ・ター」という前打ちの助走を欠き、いきなり主音から始まる。
- 音域が狭い。跳躍が少なく、音の運びが朗詠や声明に近い。
- 始まりと終わりが同じ音。上昇して高揚し、ふたたび出発点に還る。「千代に八千代に」という循環する時間観と、旋律の形が呼応している。
行進曲ふうでも、賛歌ふうでもない。多くの国歌が革命や独立や戦勝を背景に持つのに対し、「君が代」は祈りと寿ぎの音型を保っている。これはフェントン版が退けられ、雅楽の伶人に作曲が委ねられたことの直接の帰結である。
接ぎ木としての和声
一方で、私たちが実際に耳にする「君が代」は純粋な雅楽ではない。エッケルトが伴奏と和声を付け、西洋の機能和声の枠に載せた上で成立している。日本古来の五音音階の旋律に、ドイツ人音楽家が四声の和音を与える——この接ぎ木そのものが、明治日本の文化戦略の縮図と言ってよい。
和声付けは慎重に抑制されており、雅楽の笙の響きを想起させる箇所もある。そのため「君が代」は、洋楽器でも雅楽器でも、無伴奏斉唱でも成立する稀な国歌になった。
「君」をめぐる論争
「君が代」を語るうえで避けて通れないのが、「君」の解釈である。ここには複数の立場が併存しており、事実として整理しておく価値がある。
政府の見解
1999年の法制化にあたり、政府は解釈を明示した。同年6月29日の衆議院本会議で小渕首相は、「君」とは日本国および日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇を指す、と答弁している。この政府見解と同年8月9日の内閣総理大臣談話は、法成立後、全在外公館に公電で送付され、対外的な照会への対応もこれに即して行うよう指示された。すなわち、日本国憲法下の象徴天皇を戴く日本国の末永い繁栄を願う歌、という位置づけである。
異なる読み
これに対しては、批判も存在する。大日本帝国憲法下の天皇は強大な権限をもつ君主であり、「君が代」はその治世をたたえる歌だった、という歴史的経緯は解釈の変更によって消えるものではないとする立場である。国旗国歌法の審議過程で政府は斉唱を義務づける考えはないとしていたが、施行後、教育現場で法律順守を求める指導が強まり、東京都教育委員会は2003年に徹底を求める通達を出し、2004年春までに250人の教職員が処分された。この問題は複数の訴訟を経てなお議論が続いている。
他方、国文学的な観点からは、前章まで見たとおり原歌の「君」は特定の君主を指す語ではなかったという指摘がある。この立場からは、「君が代」を「あなたの人生」あるいは「私たちの時代」と読むことも、和歌の文脈としては無理がない。
三つの層
結局のところ「君が代」には、少なくとも三つの層が重なっている。(一)十世紀の、誰のものとも定まらない長寿を祝う賀歌。(二)近世まで庶民が宴席で歌った祝いの唄。(三)明治国家が国際儀礼の必要から国歌に仕立て、天皇の治世と結びつけた近代の制度。どの層を見ているかによって、同じ三十二音がまるで違うものに見える。この歌をめぐる議論がしばしば噛み合わないのは、話し手が別々の層を指していることが多いためでもある。
ふたたび、細石へ
「さざれ石の巌となりて」を比喩だと思っていたとき、この歌は観念的だった。ところが、それが実在の岩石を指すと知った瞬間、歌は地面に接地する。伊吹山の麓の河原に、50トンの岩が現にある。無数の小石が、溶けた石灰に抱かれて、幾万年をかけてひとつになったものが。
そして同じことが、この歌そのものにも起きている。作者不詳の一首が、朗詠になり、謡曲になり、酒席の唄になり、薩摩琵琶の一節になり、イギリス人の作曲を経て、雅楽の伶人の旋律を得て、ドイツ人の和声をまとい、告示になり、法律になった。ばらばらの小石が、千年かけて一個の巌になっている。
そのうえに苔がむしているかどうか(つまり、それが古びた遺物なのか、生きている石なのか)は、今を生きる者が決めることなのだろう。歌を知ることと、歌に賛同することは別である。だが少なくとも、三十二音の中に何が入っているかを知らずに語るには、この歌はいささか込み入りすぎている。
主な参照
- 岐阜県公式ホームページ「笹又の石灰質角礫巨岩(通称さざれ石)」
- 揖斐川町公式ホームページ「さざれ石公園」
- 海上自衛隊東京音楽隊「国歌『君が代』について」
- 『世界大百科事典』『デジタル大辞泉』「君が代」の項
- 衆議院 質問答弁情報、国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)
